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横浜・岩亀横丁の市民酒場「常盤木」(1/2)

以前から気になっていた、横浜の「岩亀横丁/稲荷」と「市民酒場/常盤木さん」を2回に分けてレポートする。
とてもレアはスポットなので、皆さんも是非行ってみてください。

横浜市営地下鉄の高島町から桜木町に向かう道のちょうど中間に「雪見橋」という交差点があり、ここから右に斜めに入って「戸部4丁目」交差点までの通りを「岩亀横丁」と呼ぶ。
この写真は戸部4丁目付近から雪見橋方向を移したもの。右端に岩亀稲荷の旗が見え、背後にランドマークタワーが望め、新旧相対する構図である。
DSC02322.jpg

幕末期の横浜開港に伴い、外国人を引き受ける遊郭開設の要請があり、1859年に今の横浜公園(横浜スタジアム隣)の地に「港崎遊郭(みよざきゆうかく)」が開業した。この遊郭造りに品川宿の岩槻屋佐吉という人が携わり、岩槻屋佐吉が経営する遊女屋は、岩槻の音読みから「岩亀楼」(がんきろう)と呼ばれ、三層造りで遊郭の中でも特に豪華だったという。のちに焼失したので高島町に移転したが、当時の「岩亀楼」の石燈籠は今も横浜公園に設置されている。
DSC02333.jpg

石灯篭には「岩亀楼」の文字がはっきり記されている。
DSC02331.jpg

岩亀楼の遊女達が病に倒れた際に静養する寮が西区戸部町4丁目界隈にあったことから「岩亀横丁」と呼ばれる。
「雪見橋」から「岩亀横丁」を100mほど歩くと、「岩亀稲荷」と書いたノボリが見えてくる。
DSC02308.jpg

ここが稲荷の入り口で、遊女の立ち姿を模した灯篭が立っている。艶めかしいですねぇ。
DSC02309.jpg

元々この稲荷は寮の中にあったそうで、遊女達が病気平癒のためにお参りしたという。

両側が店に挟まれた細い路地を奥に進むと朱塗りの鳥居がある。本来なら鳥居の奥に社があるはずであるが、何故か見当たらない。
DSC02311.jpg

更に進むと、突き当りの立札に「岩亀稲荷の由来」が書かれている。岩亀楼一の売れっ子遊女「喜遊太夫」の伝説に見入ってしまった。
DSC02314.jpg

傍らには、喜遊太夫が自害した時の辞世の歌「露をだに いとう倭の女郎花 ふるあめりかに 袖はぬらさじ」が書かれている。見事な倭の遊女気質ですね。
DSC02318 - コピー

そして振り返って横を見ると稲荷の社があるのに気づく。何とも不思議なのは参道とは反対側に向いていること。何故か?? 後で「常盤木」の店主から聞いたところによると、神社は寮内にあった当時のままだが、周りの家屋の位置が変わってしまい、このようなチグハグな配置になっているとのこと。
DSC02320_2014081321170575e.jpg

小さいながらも、立派な社です。きっと多くの人から慕われ、今も大切に守られているのですね。
女性の病を癒す稲荷ということで、母や家内の健康を祈念してお参りしました。
DSC02315.jpg

幕末の横浜開港に伴う悲喜交々の歴史を感じながら、次なるの横浜酒場の歴史「市民酒場」を求めて「常盤木」さんにに向かう。次回をお楽しみに。。。

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テーマ : 横浜!YOKOHAMA!
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じゅん吟

Author:じゅん吟
日本酒をこよなく愛し、美酒との一期一会を求めて夜な夜な銘酒探訪が趣味のきき酒師です。
我が愛する「国際都市横浜」から日本の伝統的文化の一つである日本酒を発信するべく、「横浜美酒倶楽部じゅん吟」を構想しています。

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